「英語で教える講師」と聞くと、まず心配になるのが自分の英語力ではないでしょうか。ネイティブみたいに話せないと務まらないのでは、レッスン中にとっさの英語が出てこなかったらどうしよう——。講師になりたい気持ちはあるのに、そこで足が止まってしまう人は少なくありません。ここでは、その不安の正体を一つずつ解いていきます。
「英語を話せないと講師になれない」は本当か
結論から言うと、レッスン中にペラペラと即興で話せることは、えいごdeじゅくの講師の必須条件ではありません。多くの人が思い描く「講師像」は、たいてい英会話スクールの先生です。生徒と英語で雑談し、質問にその場で英語で切り返す——あのイメージが、そのまま不安の元になっています。
でも、えいごdeじゅくが育てる講師は、その形とは違います。求められる力の中身が別なので、「英会話が流暢かどうか」で自分を測ると、判断の物差しからしてずれてしまいます。
もちろん、英語にまったく触れたことがない状態でいい、という話ではありません。基礎的な読み書きや、教材を読み解ける程度の英語運用は、土台として要ります。ただ、その土台と「レッスン中に流暢に話す」あいだには、大きな距離があります。多くの人は、要らない部分まで自分に課して、勝手にハードルを上げてしまっています。
まずは、「話せない=教えられない」という思い込みを、いったん外すところからです。
えいごdeじゅくは「英語を」ではなく「英語で」教える
この講座の根っこにあるのは、英語“を”教えるのではなく、英語“で”教える、という考え方です。英語そのものを科目として教えるのではなく、算数や身のまわりのことを、英語という手段を通して学ぶ。登録商標の「えいごdeさんすうがく」が、その象徴です。
この違いは、講師に求められる英語力を大きく変えます。英会話の先生なら、話題が何であれ英語で自在にやりとりする力が要ります。でも「英語で算数を教える」なら、扱う内容も、使う言い回しも、あらかじめ決まっています。数を数える、比べる、形を説明する——そこで使う英語は範囲が限られていて、事前に準備できます。
つまり、無限の会話に即興で対応する必要はありません。決まった内容を、決まった英語で、繰り返し扱う。この設計だからこそ、ネイティブ級の瞬発力がなくても成り立ちます。
言い換えると、講師の仕事は「英語を披露すること」ではなく、「英語で学ぶ場を運ぶこと」です。主役は英語力そのものではなく、子どもが英語を通して何かを学べる、その流れをつくることのほうにあります。
難しい説明は、日本語でしてもいい
「英語で教える」と言うと、レッスンをまるごと英語でやり切らなければいけない、と思われがちです。でも、そうではありません。子どもの側にも英語力の段階があり、まだ英語だけでは届かない説明は、母語である日本語で補ってかまいません。
そもそもの目的は、英語に触れながら中身を学ぶことです。英語にこだわるあまり肝心の理解が置き去りになったら、本末転倒になってしまいます。だから、英語で言えるところは英語で、難しい概念は日本語で、と混ぜて進めるのが自然です。全部を英語で通すことより、子どもがちゃんとわかることのほうが優先されます。
これは講師にとって、大きな安心材料です。頭の中で、目に映るものすべてを英語に翻訳し続ける必要はありません。「これも英語で言い換えなきゃ」という緊張から解放されて、伝えたい中身に集中できます。とっさに英語が出てこない場面でも、日本語という逃げ道が最初から用意されている、と言ってもいいくらいです。
そして、子どもの理解度を見ながら、どこを英語で、どこを日本語で伝えるかを選ぶ。その配分を判断できること自体が、実は講師の力の一部です。流暢に話す力より、この「行き来のさじ加減」のほうが、現場ではずっと役に立ちます。
レッスンは非同期が土台だから、その場で流暢に話す必要はない
もう一つ、不安を軽くする大きな要素があります。えいごdeじゅくは、リアルタイムの同期レッスンを前提にしていません。非同期、つまりその場で顔を合わせて即興で進める形ではなく、あらかじめ用意した教材ややりとりを土台に進める形が基本です。
ライブ授業を基本にしないのには、理由があります。その場で見られながら応じる負荷は、特に空気を読みすぎて疲れてしまう子にとって、学ぶこと以前の消耗になりがちだからです。子どもの側の負担を減らす設計が、結果として講師の側の「即興で話さねば」というプレッシャーも下げています。
非同期が土台であれば、講師はその場のアドリブに追われません。何を伝えるかを事前に準備し、落ち着いて言葉を選べます。とっさに英語が出てこない、という一番怖い場面そのものが、構造的に起きにくいのです。
ライブでの関わりは、講師本人がやりたい場合のオプションとして残っています。得意な人はやればいいし、苦手なら無理に組み込まなくてかまいません。ここでも、「話せないと務まらない」という前提は当てはまりません。
講師に本当に要るのは、英語で学ぶ場を設計する力
では、英会話の流暢さでないとしたら、講師には何が要るのでしょうか。中心にあるのは、英語で学ぶ場を設計し、子どもに伴走する力です。
具体的には、扱う内容をどんな順番で出すか、どの言い回しを繰り返し使うか、つまずいたときにどう言い換えるかを組み立てる力。そして、目の前の子どもの様子を見て、ペースを調整する力です。これらは、英語をペラペラ話す能力とは別の技術で、準備と工夫で身につけられます。
この力は、英語が母語でない講師だからこそ持てる強みにもつながります。自分も英語を学んできた側だから、どこでつまずくか、何がわかりにくいかが想像できる。完璧に話せる人には見えない「学ぶ側の詰まり」が見える、というのは、教える場ではむしろ武器になります。
流暢さは、あればもちろん役に立ちます。でも、それは中心ではなく、いくつもある要素の一つです。設計する力、伴走する力、学ぶ側の気持ちがわかること——こうした土台のほうが、講師としては効いてきます。
それでも不安な人が、講座で身につけられること
とはいえ、「理屈はわかったけれど、自分にできるか」は、また別の不安だと思います。そこを埋めるのが、グローカル講師養成講座です。
講座では、英語で教えるための考え方から、教材の使い方、場の設計のしかたまでを、順を追って扱います。英会話力を鍛える講座ではなく、いまの英語力を土台に、英語で学ぶ場をつくれるようになるための講座です。だから、「話せるようになってから」ではなく、「話せなくても始められる」形になっています。
自分の英語力に自信が持てず、そこで止まっていた人ほど、求められる力の中身がわかると、見え方が変わります。話せるかどうかではなく、場をつくれるかどうか。その視点で自分を見直してみると、講師への距離は、思っていたより近いかもしれません。
講座の詳しい内容は、講座ページで確認できます。


