ゲストハウスの管理人をしていた頃、いろんな国から来た人と、毎日のように接していました。そこで見えてきた「英語力」は、テストで測られるものとは、だいぶ違うものでした。ここでは、その現場で感じたことを書いておきます。
欧米以外の人と話すと、たいてい「どちらもネイティブではない」
ゲストハウスに来るのは、英語圏の人ばかりではありません。アジアからも、南米からも、中東からも、いろいろな人が住みに来ます。そういう相手と英語で話すとき、たいていは、お互いに英語が母語ではありません。
この状況は、学校で習う英語のイメージとは、かなり違います。ネイティブのきれいな発音に合わせる、という話ではなく、母語の違う者同士が、共通語として英語を使っている。正しさを競う場ではなく、なんとか通じ合うために英語を持ち出している、という感覚です。
だから、現場で中心にあるのは「正しい英語」ではなく「通じる英語」でした。文法が多少おかしくても、発音に訛りがあっても、話は進みます。むしろ、お互いに完璧ではないからこそ、遠慮なく聞き返せる。わからなければ「それ、どういう意味?」と聞き合える空気がありました。
世界の多くの場所で、英語はこうやって使われています。ネイティブ同士の会話より、ノンネイティブ同士が英語を共通語にしている場面のほうが、実は多い。その現実の中で必要になるのは、教科書どおりの正確さとは、少し別の力でした。
英語の正確さより、「内容が正確に伝わるか」
現場でよく見たのは、文法は完璧なのに、なぜか伝わらない人と、片言なのに、要点がちゃんと届く人の対比です。
前者は、正しい文を組み立てることに気を取られて、肝心の「何を伝えたいか」が薄くなりがちでした。後者は、単語を並べるだけでも、伝えたいことの中心がはっきりしているから、ちゃんと届く。大事なのは英語の正確さそのものではなく、内容が正確に伝わるかどうかなのだと、何度も感じました。
伝わる人は、言葉が足りないぶんを、別の手で補っていました。身振りを使う、絵を描く、例を出す、相手の顔を見て伝わっているか確かめる。英語力というより、伝える工夫の力です。この工夫があるかないかで、同じ英語力でも、通じ方がまるで変わります。
ゲストハウスでいちばん役に立ったのも、この工夫のほうでした。難しい単語を知っていることより、持っている言葉で何とか伝えきる力。それが、現場での「英語力」の中身だったように思います。
結局は英語ではなく、コミュニケーションの問題
もう少し踏み込むと、これは英語の問題ですらないのかもしれません。コミュニケーションそのものの問題です。
考えてみれば、日本語同士でも、話が通じない相手はいます。同じ言葉を話していても、伝えようとする気がなかったり、相手を分かろうとしなかったりすれば、会話は成り立ちません。逆に、言葉が不自由でも、伝えたい・分かりたいという気持ちがあれば、なんとか通じ合えます。
ゲストハウスで通じ合えた人たちに共通していたのは、英語力そのものより、この姿勢のほうでした。片言でも伝えたいと思っているか。相手の言うことを、分かろうとしているか。その意志があれば、言葉の不足は、後からいくらでも埋められます。
だから、英語ができないから通じない、というのは、半分は思い込みだと思います。通じないのは、英語力が足りないからではなく、伝えよう・分かろうとする手前のところで止まっているからかもしれない。ここは、英語の勉強とは別に、意識しておきたい土台です。
英語だけに、こだわらなくていい
最後に、これは現場を離れてから思うようになったことです。英語だけに、こだわる必要はありません。
相手の言語を、ほんの少しだけ覚えて使ってみる。それだけで、やりとりの通り方が変わります。英語で押し通すより、たどたどしくても相手の言葉を少し使ってみる。相手も、こちらの日本語を使おうとしてくれている。どちらか一方が英語に合わせきるのではなく、お互いに相手の言葉へ一歩ずつ寄る。そういう行き来です。
英語が万能なわけではありません。ただ、英語は情報が多くて、使われている場面も多い。だから便利なだけです。世界の入り口として使い勝手がいいのは確かですが、それは「英語だけが正解」ということとは違います。英語は、たくさんある選択肢の、便利な一つ。そう捉えておくくらいが、ちょうどいいと思っています。
私が思う「英語力」
こうして振り返ると、私が現場で見た「英語力」は、正しく話す力とは、別のものでした。伝えたい・分かりたいという姿勢があって、それを、持っている言葉と工夫で形にする力。テストの点数には出にくいけれど、実際に人と関わる場面では、これがいちばん効きます。
えいごdeじゅくが、英語を「科目」ではなく「手段」として扱うのも、同じ理由からです。正しさを詰め込むことより、英語を使って何かを伝える経験を先に置く。現場で効いたのは、そちらの力でした。
(グローカル講師養成講座では、この考え方を土台に、英語で学ぶ場をつくれる講師を育てています。)

