AIが出現する前から機械翻訳はあったので、ずっと聞かれることがあります。
「翻訳アプリを使わせていいものか」 「ChatGPTに英文を書かせたら、本人の力にならないのではないか」
心配の中身は、だいたい同じです。楽な道具があると、子どもがそれに頼りきって、自分では何もできなくなるのではないか。
結論から書きます。使い方によって、結果は正反対に分かれます。 道具そのものに良し悪しはありません。分かれ目は、その子が英語を「学ぶ対象」として扱っているか、「使う道具」として扱っているかです。
「答えを出させる」使い方と、「量を増やす」使い方
翻訳ツールやAIの使い方は、実際には二種類しかありません。
ひとつは、答えを出させる使い方です。宿題の英文を丸ごと入れて、日本語訳を受け取る。作文の課題を入れて、完成した英文を受け取る。この使い方では、子どもは何も処理していません。入力と出力の間に、本人の思考が入っていない。この場合、力がつかないのは当然です。
現在の海外の大学でも問題になっている使い方であり、各大学が対策にいろいろなツールや学習プラットフォームの使用を試行錯誤しています。
もうひとつは、扱える量を増やす使い方です。読みたい英語の記事があるけれど、辞書を引きながらでは1ページに1時間かかる。そこで翻訳を横に置いて、詰まったところだけ確認しながら読み進める。この場合、子どもは英語を読んでいます。読んだ量が10倍になっている。
実際に海外大学などでの読書課題の量はネイティブでない私たちが目視で読むには膨大すぎる量です。読む必要のあるところを当たりをつけた上で、機械翻訳などで概要を取らなくては処理できる文章ではありません。だからあきらめる、というのではなくツールを使って「成し遂げる」方に使います。
同じツールで、起きていることが真逆です。
「英語の力」が何を指しているか
もう一段、掘り下げてみます。
「英語の力がつかない」と言うとき、その「力」が何を指しているのかが、実はあいまいなまま話されていることが多いのです。
- テストで訳せる力
- 辞書なしで読める力
- 英語で書かれた情報にアクセスできる力
- 英語で何かを学べる力
翻訳ツールを使うと明確に落ちるのは、一番上です。訳す作業を自分でやらなくなるので、訳す技能は伸びません。
一方で、下の二つはむしろ上がります。使えるツールがあるおかげで、これまで手が出なかった英語の教材や動画や記事に、実際に触れるようになるからです。
つまり「翻訳ツールを使うと英語の力がつかない」という懸念は、正確には「訳す技能は伸びない」という話です。それが困るかどうかは、その子が英語で何をしたいかによります。
ただ実際には翻訳家も分量に対してのスピードを上げるために機械翻訳を使います。そして重要なところをじっくり原文と向き合い考えるといった使い方です。
訳す技能が必要な子と、必要でない子
翻訳者や通訳を目指すなら、訳す技能そのものが仕事の中身なので、当然鍛える必要があります。
しかし、多くの子にとって英語は目的ではありません。英語は、学べるものの範囲を広げるための道具です。
海外の算数教材で学びたい。プログラミングの一次情報を読みたい。興味のある分野の講義を英語で聞きたい。この用途に必要なのは、訳す技能ではなく、英語で書かれたものに怯まない状態です。
そして、その状態をつくるのに一番効くのは、触れた量です。機械翻訳経由であれ、何であれ、分量が多ければ、そこから自然にルールや文法を吸収していきます。
実際に起きていること
家庭学習をしている子を見ていると、翻訳ツールを使い始めたあと、二通りの推移があります。
ひとつは、使う量が減っていくパターンです。最初は全部翻訳にかけていた子が、そのうち「この段落は分かるから飛ばす」と言い出す。読んだ量が増えたぶん、頻出の語や言い回しが自然に残っていくためです。翻訳が補助輪として機能している状態です。
もうひとつは、翻訳に入れる作業だけが習慣化して、読んでいる中身に関心が向かないパターンです。多くの場合、そもそも英語で読みたいものがない。読みたいものがないところに道具だけ渡されたので、作業になっています。
この差はツールの使い方の問題ではなく、読みたい対象があるかどうかの問題です。
大人が確認するとよいこと
禁止するか許可するかを決める前に、確認する価値があるのは次の点です。
- その子は、英語で「何を」読もうとしているのか
- 翻訳を使ったあと、内容について何か言うことがあるか
- 使う頻度が、時間とともに減っているか増えているか
内容について感想が出てくるなら、読めています。ツールを通しても、中身は本人の中に入っています。
逆に、翻訳結果を受け取って終わり、内容の話が一切出てこないなら、読む対象が本人の関心と合っていない可能性があります。その場合に見直すべきはツールではなく、教材のほうです。
AI時代に英語をやる意味は変わったか
翻訳精度が上がったことで、「もう英語は要らないのでは」という問いも増えました。
要不要でいえば、日常生活の用は足りるようになりました。 旅行も、買い物も、簡単なやりとりも、ツールで足ります。
それでも残るのは、英語で直接学ぶという用途です。
翻訳を通すと、必ず時間差と情報の欠落が生じます。専門分野の一次情報、公開されたばかりの教材、コミュニティで交わされている議論。こうしたものは、訳されるのを待っていると届かないか、届いたときには内容が古くなっています。
英語ができるかどうかは、もう「話せるかどうか」ではなく、世界のどの範囲まで手が届くかの問題になりました。ツールは、その範囲を狭めるものではなく、広げるものとして使えます。
まとめ
- 翻訳ツールやAIで落ちるのは「訳す技能」であって、「英語で学ぶ力」ではない
- 答えを出させる使い方は力にならない。扱える量を増やす使い方は力になる
- 分かれ目はツールではなく、英語で読みたい対象があるかどうか
- 禁止よりも、何を読んでいるかを確認するほうが実用的
興味があるアイドルの情報なら、ハングルだってこどもたち自身で調べて情報にたどり着ける時代です。
管理するより、うまく活用していきましょう。
えいごdeじゅくでは、英語を学ぶ科目としてではなく、算数や理科を学ぶための道具として扱っています。翻訳ツールを使うかどうかも、その前提で判断しています。
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