いま、海外の通信制大学で勉強しています。これは、二度目の入学です。
有名な大学ではありません。学校の名前で人と競いたい人からすれば、聞いたこともない名前だと思います。アメリカに住む友人によると、雰囲気としては職業訓練校に近いそうです(もちろん大学として認められていて、単位もちゃんと認定されます。ずっとそこで研究を続ける、というより、仕事につなげるために手早く学位を取る——そういうスタンスの大学だ、という意味です)。
それでも、いまの自分の生活のなかで実際に選べて、続けられる学校だということが、私にとっては大事です。そして続けていれば、それが次につながっていきます。
一度やめて、また戻った
この大学を見つけたのは、実は2012年ごろでした。一度入学したものの、介護と子育てで手が回らなくなり、ログインしなくなって、そのまま退学になりました。
子どもが大きくなってきた2020年ごろ、再入学のお誘いメールが届きました。それで、もう一度申し込んでみたのです。
やめたら、もう終わりなのか
受験に失敗したり、一度やめたりしたら、「もう社会不適合者だ」と、あきらめた人生を送るしかないのでしょうか。
実際、私自身もそういう自己否定に傾いた時期がありました。でも最近は、少し違うふうに考えるようになりました。やめることになるとしても、やってみたほうがよかった、と。ほんの少しかじっただけでも、それがいつか何かにつながることがあるからです。
続けられないのは、その人のせいなのか
そもそも、生活や健康がいつも安定している家庭ばかりではありません。卒業まで勉強に集中できる環境がある——それ自体が、かなり恵まれた状態です。生活を優先したら学びが続かなくなる。そうなってしまうのは、その人の弱さというより、しくみの側の形の問題なのではないか、と思います。
その形は、急には変わりません。だから、戻ったり、やめたり、それを何度も繰り返すことに、申し訳なさを感じなくてもいいのではないか、と最近は思っています。
学びの記録は、通っている学校の側にあるのではなく、続けている本人の側にあります。やめた期間も、また戻ってきたことも、その人の学びの線の一部です。ドロップアウトも、消える経歴ではなく、ひとつの経歴として、残っていきます。


